【元JGFA名誉会員・故常見保彦さんIGFA釣り殿堂入りセレモニー・レポート】

インターナショナル・ゲームフィッシュ協会(IGFA)の2019年度IGFA釣り殿堂入りセレモニーが開かれました
 

2019年9月14日(土)、米国ミズーリ州スプリングフィールドにおいて、毎年恒例となっているIGFA釣り殿堂式典が開催されました。この釣り殿堂は、2016年にフロリダ州デニアビーチにあるIGFA本部ビルから移転したもので、現在は巨大なインドア施設「ワンダーズ・オブ・ワイルドライフ・アクエリアム&ミュージアム」の一画に設置されています。

 

IGFA釣り殿堂は1998年の創立以来、傑出した実績を残した釣り人、科学者、資源保全活動家、作家、キャプテン、業界のリーダーたちを迎えてきました。現在その数は150名近くに上り、アーネスト・ヘミングウェイ、ゼーン・グレイ、ラウリ・ラパラ、リック・クラン、ハンク・パーカー、ガイ・ハーヴェイ、リー&ジョアン・ウルフ、レフティー・クレー、シャルル・リッツといった各界のスターたちが並びます。日本人として最初の殿堂入りを果たしたのはJGFA初代会長である大西英徳さん (2006)で、それに続いたのが服部善郎さん (2011)。そして今年、常見保彦さんが殿堂入りを果たされました。同時に迎え入れられたのは、パナマの「トロピック・スター・ロッジ」のオーナーでカジキ類の資源保全に尽力しているテリー・アンドリュース女史、米国政府の釣り行政に多大な影響を与えてきたボブ・ヘイズ、回遊魚研究の第一人者であるジュリアン・ペペレル博士、歴代大統領のなかでも傑出した釣り好きとして知られるジョージ・ブッシュ・シニアです。

 

式典においては、各人の功績を俯瞰するオリジナルビデオが流され、受賞者ないし代理人がスピーチを行います。常見家からはお孫さんの常見英彦さんご夫妻が列席。お祖父様のエピソードを交えながら、「日本を世界に冠たる釣り天国に」という故人のラストメッセージをさらに拡大し、「世界が釣りパラダイスになるよう頑張っていきたいと思う」と締めくくられました。

 

IGFAが作成した常見保彦さんのビデオクリップは、以下から視聴することができます。

https://www.youtube.com/watch?v=kPpJP6X9PeE&feature=youtu.be

レポート &随行通訳: 東 知憲(JGFA常任理事)

【常見英彦氏のスピーチ】


親愛なるIGFAの皆様

このたびは、亡き祖父、常見保彦がIGFAの栄誉ある釣り殿堂に選定されたとの報せを受け、家族一同大変に嬉しく、また感謝の気持ちでいっぱいです。

祖父は13歳で奉公に出て以来80年余り、釣りの世界一筋で生きてきた人で、釣りを愛し釣り界を良くしたい、一人でも多くの方々に釣りの素晴らしさを知ってもらいたいと様々な活動をしてきました。その祖父が歴史と伝統があり、これまで釣りの世界を引っ張ってこられたIGFAの釣り殿堂で認めていただいたことは、我々家族やこれまでお世話になった方々はもちろんのこと、亡き祖父も心から喜んでいると思います。

祖父は釣道具の販売を生業(なりわい)にしながら、常に新しい発想で様々なことにチャレンジしてきました。自身ではアユ釣りが最も好きで日本全国の河川で釣りをしたようですが、日本の伝統工芸品でもある和竿を使っての釣りも好きで、江戸前のハゼ釣りや渓流での釣りなどもよくやっていました。

当時日本にはなかったルアーフィッシングにいち早く目をつけ、日本に普及させるべく海外にも出かけていって様々なブランドを日本のアングラーに伝えていきました。今から50年以上も前のことですが、ガルシアやミッチェル、ダーデブル、フレッドアーボガスト、ボーマー、ラパラ、メップス、ルブレックスなど、今でも多くのアングラーに愛されているものです。海外ブランドを導入した頃は私も小学生でしたが、40数年前、中学2年生の時、祖父と一緒にガルシアのコノロン工場に行ったことが懐かしい思い出です。


祖父が立ち上げに関わった日本釣振興会の理念や活動は、IGFAの友好団体であり、今年創立40周年を迎えたJGFAの活動とも密接に関わっており、祖父もJGFAの理念、取組みに共感し、日本人として初めて殿堂入りをされたJGFAの初代会長、故大西英徳氏とも非常に親しくお付き合いをさせていただいたと聞いております。

晩年には釣り文化を後世に伝えるために、内外の釣り道具や文献を収集し、多くの人々に見てもらいたいという気持ちで、「釣具の歩み資料館」(東京釣具博物館)を開設しました。


まさに釣りの世界に生涯を捧げ、釣りの世界のおかげで充実した人生を送ることが出来たのではないかと思います。そして今回このような栄誉ある殿堂入りをさせていただいたことは亡き祖父にとっても我々家族にも大きな宝物となりました。

今後はこの栄えある殿堂入りの名に恥じぬよう、私共家族はもちろん、亡き祖父が関わってきた釣り界の方々や会社のメンバーと協力して、釣りの素晴らしさ、楽しさを末永く伝えるとともに、祖父の遺言でもある「日本を世界に冠たる釣り天国にする」ために努力を続け、さらに日本だけでなく、世界が釣りパラダイスになるよう頑張っていきたいと思います。

最後に今回の殿堂入りに際し、ご尽力をいただいたJGFAの岡田順三名誉会長をはじめ多くの方々、そして本日ここにおられる皆様に心より御礼を申し上げるとともに、IGFA、そして世界の釣りが今後益々発展することを心よりお祈り申し上げます。

ありがとうございました!!

2019.9.14
常見英彦

(※:当スピーチは随行した東知憲JGFA常任理事により同時通訳され、参列者に伝えられました。)


【常見保彦さんの略歴】
常見 保彦 1913 – 2005
常見保彦さんは、1913年5月31日に埼玉県越谷市に生まれました。13歳のときに、絹糸の販売を行っていた「亀山テグス商会」に入社。修行ののち、台東区に「不二屋常見商店」を開店しました。
第二次世界大戦後、日本経済が活況を呈するなかで一般市民の釣りへの興味が高まり、常見商店は成長を遂げました。
1963年、常見さんが会員であった東京釣具協同組合は、後のフィッシングショーの原型となる「第一回東京釣用品見本市」を開催。翌年、常見氏は同組合理事長に選ばれました。
彼の会社「ツネミ」の存在は、日本の釣り具メーカーが世界的な競争力を持つきっかけともいえます。またツネミはラパラ、メップス、ボーマー、フレッド・アーボガスト、ガルシア、ミッチェルといった有名ブランドを取り扱い、それら海外メーカーは日本が大きな市場であることを知ったのです。
1966年、常見さんが率いる東京釣具協同組合は、伝統的な釣法と浅瀬の魚資源の存続に大きな影響を与える東京湾の開発計画に非を唱え、72万人の署名を集めました。
また1978年には水産庁に「遊漁班」の設置を求めるデモを実施し、請願書と100万人規模の署名を提出しました。その結果、水産庁には釣り人の窓口が設置されています。
このように、戦後間もないころより釣り界発展のために行政に働きかけを行うかたわら、(財)日本釣振興会、(社)全日本釣り団体協議会の設立にかかわり、釣り界において数多くの要職を務められました。

1979年、釣り振興に対する貢献が認められ、常見さんは都知事賞を受けました。また1983年には叙勲(勲5等双光旭日賞)。1996年には個人コレクションをもとに「釣り具のあゆみ博物館」を自社ビル内に創立。これは後に東京釣具博物館と改名されました。
常見保彦さんは、2005年に逝去されました。(享年91歳)
彼の遺言は「日本を世界に冠たる釣り天国にしてほしい」というものでした。この常見さんの日本の釣りに対する真摯な思いは1996年版JGFAイヤーブックに「釣り天国ニッポンをめざして」と題し掲載されました。

 

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このたびIGFA釣り殿堂入りを果たされた故・常見保彦さん。(写真は2001年当時のものです。)

2019年9月14日、IGFA釣りの殿堂入りセレモニーが米国ミズーリ州スプリングフィールドの「ワンダーズ・オブ・ワイルドライフ・アクエリアム&ミュージアム」で開催されました。

IGFA殿堂入りのセレモニーに参列された常見英彦さん〔授賞された常見保彦さんのお孫さんにあたります。)

授賞された常見保彦さんが紹介されました。

授賞のスピーチを行う常見英彦さん。そして、随行した東知憲さん〔右)による同時通訳。

ミュージアムにはIGFA釣り殿堂入りを果たした歴代の方々の似顔絵プレートが飾られています

常見保彦さんが偲ばれる和竿などゆかりの品々も展示されていました